吹雪の舞う無人駅のホームはそれはそれは寒かった。
寂しげな景色が寒さを余計に倍増させる。
前にAから「スーツを着てきて」と言われていたのだが、スーツだけで耐えられるような寒さではなかった。なにしろ、マイナス17度!である。
あまりの寒さに顔はつっぱって痛いし、体中震えが止らない。それでもここまで来てしまった以上、撮影が終わらない事には帰ることも出来ない。
スーツだけでは寒さに耐えられないので、その上にコートを着て、鼻水をすすりながらひたすらこの撮影が早く終わってくれるのを祈った。
駅のホームにベンチがあり、そこに我々出演者4名が座った。
すっかり忘れていたが、この映画のタイトルはドイツ語で「DURCHFAHRT」。
日本語に訳すと「通過」、この場合で言うと「通過列車」の意味であろうか。
この映画のあらすじは、お互い何の関係もない4人の男が一つのベンチに腰掛け、それぞれに考え事をしながらひたすら電車が来るのを待っている、というもので、4人の職業はそれぞれ、
イギリス人=ミュージシャン(ワイマール建築大学で英語を教えるイギリス人)、
ロシア人=労働者(ドイツ人の大学で働いている用務員のおじさんが“ロシア人に似ている”という理由だけでロシア人に扮装させられた。更にロシアンハットをかぶってどこから見てもロシア人!)、
ペルー人=ペルーからやって来た俳優(本当にワイマール宮廷劇場のペルー人役者)、そして、
日本人=日本から出張でやって来た銀行員(単に断われなかった、ワイマール音楽大学の可哀想なピアノ科学生)であった。
このように国籍も職業も全く違う4人が駅のホームのベンチに腰掛けているのだ。このような状況は日常生活の中でも十分考えられなくもないではないか。
4人の唯一の共通点とは「電車を待つ事」それだけであった。お互いに会話は交わさない。けれど、お互いがお互いの目的、すなわち「電車に乗って移動する事」を共有しているのだ。
前にも書いたとおり、この映画は「無声映画」であるので、台詞のない分、顔の表情や仕種で意思を伝えなくてはいけない。
監督Aは我々に色々な指示を出してきた。例えば、
「は~~い。今度は頬杖ついて退屈そうにしてくださ~い。」
とか、
「僕が合図出したら全員上を見上げてくださ~~い」
とか、
「紙を丸めて、地面になげてくださ~~い」などなど。
我々4人の“悲劇”役者達は演技をしながら、寒さに震えながら、それぞれ同じ事を考えていたに違いない。
それは多分、
「早く家に帰りたいよ~(泣)〈叫)。」
だっただろう。
間違いなく、これが我々の“共通点”であった。もう一度繰り返すが、
≪マイナス17度≫
である・・・。
<つづく>