当時の僕はMENSAでの“日本語環境”に順応してしまっていて、ドイツ人と会話することは日本語がペラペラのドイツ人B君と“日本語”で会話する以外、ほとんど考えられない状況にあった。
「ドイツ語が出来たらどんなに楽しいだろう。」、「いいなー。あの人あんなに楽しそうにドイツ人と会話ができて・・・」と思っていたのにもかかわらず、語学はほったらかしであった。
だが、心優しい”僕は(単に断わり方を知らずに“はい、はい”言っていただけだが・・・)快く!?彼の申し出を受け入れてしまった。もう、うなずいてしまったら後の祭り・・・。Aはそれから、「そんなに長くないから。すぐ終わるよ。」と言って、ひとまず僕を安心させ、電話を切った。
それから2ヶ月ほど経過し、いよいよ撮影当日を迎えた。夜6時ごろお迎えが家に来て、撮影場所まで連れて行かれた。その車には、同じく彼の依頼を断われず、僕と同じ運命を辿るであろう英国人も同乗していた。彼はとなりの運転手とペラペラのドイツ語で喋り捲っていて、僕は後部座席で静かに外の寂しい雪景色を見ていた。しかしそれにしても寒かった。
撮影場所は、ワイマールから車を1時間ほど走らせた、とある田舎町の無人駅であった。駅の真向かいにある居酒屋で、他の出演者と撮影のお手伝いする人たちに出会った。
軽く食事を済ませた後、監督のAがなにやら皆に向かって説明し始めた。その時まで僕は“日本人銀行員”という役をやることしか知らされていなかったので、一体何をこんな無人駅でするんだろう?どんなストーリーなのだろう?僕の頭の中は??だらけだった。
Aがストーリーを説明し、コンセプトを説明し、それから配役を説明していった。どうやら“無声映画”で台詞はないらしい・・。助かった・・・・。
配役は、僕=日本から出張に来た銀行員、英国人=ミュージシャン、ペルー人=ペルーからやってきた俳優、ドイツ人=ロシア人労働者!?(単にロシア人に似てるからという理由で。)ということだった。
このバラバラの4人がどのようにして絡み合うのか?しかも台詞もなく・・。不思議だ・・・。
そうして、皆そろって雪の舞う極寒の無人駅のホームへと向かっていった。
<つづく>