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ミュンヘンでのリサイタル

またまた更新が一ヶ月近くも滞ってしまいましたね・・・・

2月はドイツのHillesheimというところでリサイタルがあり、そのあと先週の日曜日にミュンヘンのEbersbergというところでリサイタルでした。

motoi ebersberg 新聞に掲載された写真

今回も、昨年2月にミュンヘンのガスタイクでのリサイタルの際に訪れた、僕のエスプレッソ熱に火をつけた友人で法律家のシュテファン一家のお宅にお邪魔してきました。

リサイタルの批評がドイツの大手新聞(Süddeutsche Zeitung)と地元紙に掲載されましたが、どちらも大変嬉しい内容でありました。

ドイツでは日本と違って殆どの場合、2~3日後に批評が新聞紙に掲載されます。日本では比較的大きな規模のコンサートの批評のみが音楽雑誌に掲載されますが、ドイツでは殆ど、どんな小さな演奏会でも記事にされ、批評が掲載されます。

これが結構シビアで、読んで演奏家は一喜一憂するわけです。ときには「彼は**と**を暗譜で演奏した。素晴らしい!!!」みたいな???な批評もあれば(批評のレベルに達していない)、中には個人的な恨みからか、悪意に満ちた批評だってあります。

以前、アシュケナージ氏のドキュメンタリーを見たことがありますが、彼は「どんなに批評家が悪く書いても、僕は妻の言うことしか信じない。」と言っていました。

僕にも「この人が良かったと言ってくれたら、他の誰もが批判したとしても構わない」と思う人物がいます。残念ながら演奏会に来てくれることはないのですが、アシュケナージ氏にとっては、それが奥さんなんですね。

演奏家は恐らく「今日はどれだけ納得できる演奏ができたか?」と舞台が終わったらいつも自問自答をしていると思います。僕も毎回その自問自答をしているのですが、中々満足のいく演奏というのは難しいものです。

僕は、自分が目指したい音楽、もしくは目指した音楽がその瞬間に音として表現できたかどうかを演奏後に分析し、その結果、自身で納得できる、満足のいく演奏だったと思えれば、どんなことを批評に書かれても気にしません。

もしそれが聴いている人の心に響かなくても、仮にその解釈が変であったとしても、それが自分の目指した音楽であれば、たとえ自己満足であってもいいのだと思います。

演奏家は別に食品会社のように万人に受けいられる製品造りを目指す必要はありません。自己満足な世界があってこそ、そこに個性が生まれるのだと僕は思います。

さて少々脱線しましたが、演奏会の話に戻ります。

今回のリサイタルの会場もまたあまり響かないホールで、もともと映画館として使われていた建物をホールに改築して現在は演奏会やお芝居用として使用されているようです。

ヨーロッパのオペラハウスとかもそうですが、こちらのホールは残響がないのが当たり前で、日本の響きの良いホールで久しぶりに演奏すると、日本はつくづく恵まれているなと思います。

最近はドイツでの演奏会が多く、こちらの音響に慣れているせいか、たまに日本のものすごく響き豊かなホールで演奏会をすると、リハーサルをしていて、自分の音がどこに行っているのか分からず戸惑ってしまうこともあります。

でもリハーサルが進むにつれて耳も次第に慣れてきて、最終的には日本のホールはやはり素晴らしいと思ってしまいます。

響かないホールでの演奏会でしたが、弾き込んだ曲でしたので、集中した演奏ができたのではないかと思います。

コンサートの翌日、シュテファン一家と昼食を済ませて、飛行機の時間までミュンヘンの街を少し散歩。
2010 03.08 muenchen

そして最近では珍しく定刻どおりのフライトで、ベルリン着。

来週はスイスでコンサート。ついでにマスタークラスも。



川島基オフィシャルホームページ
www.motoi-kawashima.com

2010年03月12日 | メッセージ from Berlin

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