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国際シューベルトコンクール 最終話


コンクール中、僕はドルトムント市在住のある家庭にホームステイしていた。
お世話になったOさん宅はドルトムント市の郊外にあって庭付き一戸建てで、庭は2000平方メートルもあり、「ゴルフできますねぇ~。」なんて話していた。

家には2匹の犬がいて、14歳になる“お婆ちゃん犬”のエリ、そして元気一杯“悪がき犬”のマックスが僕を出迎えてくれた。エリは病気で、癌をわずらい、見ているのも可哀想なので、もう“安楽死”させてあげたいとのことだった。

今回の優勝はOさん一家の手厚いサポートなくして語ることは出来ない。特に期間中ずっと僕と行動を共にしてきたグンダ夫人はまるで母親のように僕の事を案じ、そして結果発表の時は一緒になりドキドキしていた。

グンダ夫人は気が利きすぎるくらいとても気が利く人で、まるで実家の母を見ているような感じで、なんだか他人に思えなかった(笑)。

例えば、練習につかれホッと一息休憩していると、「コーヒー飲む?」とか「ここにバナナがあるし、あそこにりんごがあるし、え~っと、あっ、チョコレートがいいわね!」なんて勝手に自分の中で解決して僕に差し出すのである。

一次予選の前日、会場でピアノ選びをした帰りの車中で、“ドイツ料理”の話題になった。グンダ夫人に「ドイツ料理はすき?」と尋ねられた僕は、「ザウアーブラーテン」(牛肉のロースト:焼く前にワインやお酢につけ肉の臭みをとり、肉をやわらかくしてオーブンで焼き上げる手間のかかる一品)が特に好きだ、と答えた。「偶然にもそれは私の得意料理なのよ!でも、あなたが本選に行って、それから受賞者演奏会に出たら食べさせてあげるわ。その為に、あなたは頑張らなきゃね!」

その時僕はまさかこの約束が実現することになるとは夢にも思わなかった。

前にも書いたとおり、“シューベルトの素晴らしい音楽の中に浸る”“演奏できる幸せ”を噛締めることに専念していた僕であったが、さすがに一次予選前はまたいつものようにド緊張していたのだった。

しかし、演奏中に“あがる”ことはなく、心地よい緊張感で演奏できた。勿論、毎度の事だが演奏の出来に満足しているわけではない。これまでと比べ、満足度が比較的“高い”というだけである。

こんな調子で二次予選、三次予選と勝ち進んできた。三次予選の結果発表で自分の名前が呼ばれた時は、さすがにホッとして一気に緊張感がほぐれたのだった。グンダ夫人も本当に嬉しそうな顔をして目には涙があふれていた。

本選ではドルトムント管弦楽団と、6月に「ベルリン交響楽団」と共演した、あの「モーツァルト:ピアノ協奏曲第21番」を演奏することになっていた。6月にあらかじめ演奏していたお陰で前日のオーケストラの合わせでもスムーズに何の問題もなく進み、本選会での演奏はこれまでの自分の演奏の歴史の中で、最も思い出に残る演奏となった。
演奏後にこれほど爽快な気分になったことはかつてなく、指揮者が、オーケストラの団員が、そして聴衆が熱狂的な拍手を僕に送ってくれたのだった。全演奏が終了し、いよいよ結果発表となった。

会場には満員の聴衆が固唾を呑んで見守り、第5位からの発表で4位、3位、2位・・・・・そして最高の“瞬間”がそこにはあった。今までやってきたことが無駄ではなかったんだ、そして有終の美を飾れたというなんともいえない充足感が体中を満たし、感極まって思わず涙しそうになったが、壇上であったのでそこはグッと堪えた。

受賞者演奏会での演奏も無事終わり、翌日グンダ夫人の「ザウアーブラーテン」を食した。僕はペロリと3切れ(約600グラム)も食べてしまった。甘酸っぱい酸味が効いたお肉はしっとりと柔らかで、約束を果たした達成感も相成って、最高の食事となった。

食後にグンダ夫人が「もとい、最後に何か弾いてくれない?」「私は“春の想い”が聴きたいわ。」と言った。

エリは僕がこの家に来て10日間で容体が著しく悪くなってしまった。まともに歩くことはできず、薬のせいで落ち着きがなく、絶えずそわそわしていた。

グンダ夫人のリクエストに応え、僕がピアノの前に座ると、最期を静かに迎えようとしているエリをご主人が連れてきて、ピアノの傍にそっと寝かせた。エリの耳はもうほとんど聞こえていない。だけど、エリの心に響いて欲しい、春の匂いを感じとって欲しい、そして少しでも安らいで欲しい、そう思う一心でシューベルトの「春の想い」を奏でた。

僕がベルリンに帰り、何日か経ってエリは静かに息を引き取った。
エリに次の春が訪れることはなかった。

しかし、エリの姿がそこに見えなくなっても、彼女の存在は永遠にOさん家族、そして僕の心の中で生き続けるであろう。音楽は形として見たり、手に取ったりすることはできない。しかし、音楽は奏者によって演奏され、届けられた音が記憶の中で一つ一つ結びつき、音楽の“形”を形成していく。そして、その演奏が心に染み入った時、それは永遠に消えることはないだろう。これこそが音楽の本当にあるべき姿なのではなかろうか。

僕は一人でも多くの人の心に訴えかけ、10年後、20年後経っても鮮明に記憶に残っている、そんな音楽、演奏をしていきたい。今はもうそこにいなくても、心の中に生き続けているエリが天国でも、僕が演奏した「春の想い」を思い出してくれればと願ってやまない。
コメント
Unknown
nyapikoさん。ありがとうございました。

岡山のリサイタルは多分とっくに売り切れていて、チケットが手に入らなかったのではないでしょうか・・。申し訳ございませんでした。。

3月にも岡山でリサイタルを開催しますので、そちらにどうぞお越しください。

書き込み遅くなってすみません
もとい URL 2005年11月27日 20:13:47 編集
Unknown
感動しました。岡山でのリサイタルぜひ行きたいです
nyapiko URL 2005年11月14日 23:31:34 編集

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