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モーツァルト嫌い!?(パート2 )

コンサート前、普段かなりナーヴァスになる僕も今回ばかりは比較的リラックスしていた。某ピアニストもご自身のホームページに書かれていたが、「ピアノ協奏曲はデザートのようなもの・・・」だそうで、僕もこれには大いにうなずいた。

デザートというのはいつでもワクワクするし、どんなにお腹がいっぱいでも食べれてしまう。
大体普通は、一人ぼっちの舞台で寂しい思いをしているピアニストだが、ピアノ協奏曲のときは大勢の人たちが舞台にいて、「ああ今日僕は一人じゃないんだ!」と、皆に守られている感じがして、心細さを感じることはない。

一人のソロの時と比べ、ピアノ協奏曲は演奏後の充実感が違う。もちろん、上手くいかなかった時は、ソロの時以上に落胆してしまうのだが、それでも皆で一緒になり一丸となって共同で音楽を創造していくということは、感動にほかならない。

ピアノ協奏曲というのは、管楽器のソロの旋律に答えたり、チェロの伴奏を請け負ったり、またオーケストラの大合奏の中に溶け込んだり、時にはカデンツァでオーケストラを待たせてピアノソロを弾いてみたり、実に様々な要素が存在する。
モーツァルトのピアノ協奏曲は比較的オーケストラの編成が小さめで、大きな室内楽をやっているような感じなのだが、でもそこは“ピアノ協奏曲”である以上、ピアノが主役にならなくてはいけない。

だからといってラフマニノフやチャイコフスキーばりの覇音はどこにも必要ない。だから、一つ一つの音のクオリティーが顕著に問われるのだ。

前日記でも触れたが、誤魔化しが全く通用しないモーツァルトはある意味、全ての協奏曲のなかで(僕にとっては)一番演奏するのが困難である。

今回の協奏曲でのコンセプトは“オペラ作曲家としてもモーツァルト”で、オペラの各場面と協奏曲の中の部分を音楽的に照合しながら、例えば「ドン・ジョバンニ」のこの場面、「後宮からの逃走」のあの場面とか、ベルリンに来て沢山オペラを鑑賞したお陰で、具体的にイメージが湧き、音楽に当てはめるのもそう難しい作業ではなかった。

だから今回の演奏会を聴かれてた方々は僕の演奏からはきっと軽やかで、清清しく、純粋無垢なモーツァルトは聴こえなかったであろう。別にそういう演奏解釈を否定する気はないが、僕がモーツァルトのピアノ曲を好きになれない理由がそこにある。

この頻繁にピアノ曲の演奏で見受けられる、軽やかでさわやかで、純粋無垢な少年のようなモーツァルトが僕はどうしても受け入れる事が出来ない。今回の初モーツァルト演奏で得た収穫は計り知れず、失敗した箇所もあったが、なんと言っても、今まで全く曖昧だった彼のピアノ音楽のイメージを根本から考え直す良いきっかけになったのは言うまでもない。
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