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いろいろありました in 岡山


今回の日本滞在では多くの事を学んだ(というか味わった・・)。
「チャリティーコンサート」で演奏したモーツァルトの「2台のピアノとオーケストラの為の協奏曲」では、自分の相方であるピアニストとオーケストラとのアンサンブルの難しさを痛感し、また「公開レッスン」では、自分が思っていること、感じていることを言葉にして表現し、それを小学生や中学生の生徒には噛み砕いて伝えなければならない困難さを痛切に感じた。

最大の出来事はNHK「きびきびワイド」での生演奏&トークは生放送の怖さを味わったことだった。
「きびきびワイド」では二曲ほど演奏したが、自分のタイミングで曲を演奏し始められない状況で、ディレクターの「キュー」で演奏を開始しなくてはならず、このことがどれだけ難しいか、事前に知る由もなかった僕は演奏中にその大変さを味わうことになってしまった。
まあ、「物事の最初は何でも難しい」ということだから、またこんな機会があったらその時は幾分ましになっているだろう(と思う。と祈る。)インタビューの後半、高校時代からの親友が番組宛にメールをくれ、そのメールが番組内で発表された。このときばかりは、緊張していた自分の表情も素に戻ったようだった。今回のNHK出演は誰にも公表してなかったのに、殆どの人はたまたま偶然にテレビをつけたら僕が出ていたらしい。
恥ずかしかったから誰にも連絡していなかったのだが・・・。

話し変わって、「公開レッスン」で感じたこと・・。

今さら言うことでもないが、音楽と言うものは、中々、言葉に出して表現することが難しいように思う。歌詞がついている歌曲などは、歌詞が音楽の意味を伝えてくれるから別として、器楽曲などの音楽の表現手段は「音」であるから、その音をいかにそれらしく“聴かせられるか”が難しいところで、それを“口に出して伝えよう”ともなると困難な事極まりない。
例えばその音の意味、どんな質でどの位の音量か、を言葉で説明するとき、僕が「こんな音で弾いてみて。」といって音を出して見せた方が、「ここは、こーで、あーで、だからこうなって、あーなる。」と説明するより手っ取り早いし、的確だろう。しかし、聴こえた音をそのまま、自分になんのイマジネーションもなく「あ、こんなもんか・・。」と思って、筋肉の運動だけで音を鳴らした場合、その音の奥行きの深さ、意味深さが聴こえてくるだろうか?だが次のような矛盾も当然のこと生まれてくる。
昔、こんな話を聞いた。
日本で「マタイ受難曲」の異なった二公演でエヴァンゲリスト(福音史家)を務めた二人のテノール。一人は敬虔なクリスチャンでマタイ福音書を熟知し、バッハに精通しているテノール、もう一人は無宗教で無勉強で「信じなくとも救われる♪♪」と思っているテノール。
後に雑誌に載った批評には、前者の敬虔なクリスチャンのテノールは「・・・・マタイの福音書の意味を知っているとは思えない無知な歌唱.・・・・」と評され、一方の無宗教・無勉強テノールは「・・・十分にマタイ受難曲の素晴らしさを伝えた、熟知している歌唱・・・・」と、まあ、記憶が定かではなくなったがこのように評されたらしい。。

確かに聴衆に聴こえたもの、感じ取らせたものが全てではあるが、仮に、「なんにも考えなくても“結果的に”そのような音になって聴こえた」ということで良しとするのなら、同時に我々が「では何のために音楽をやっているのか?」という疑問が生じる。演奏者が考えに考え抜き、「伝えようとする音楽」がないのなら、音楽をやっている意味がないのだから・・・と僕は思う。


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これも初めての体験 ”サイン会”
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