
先日(といっても先々週)、ワイマール時代にお世話になった恩師:ロルフ=ディーター・アーレンス教授がベルリンでオーケストラとモーツァルトのピアノ協奏曲を演奏した。
2日間続けてのコンサートだったがどちらも演奏会場は教会で、フィルハーモニーホールとかコンツェルトハウスの様な、いわゆる大きな会場ではなかったが、オーケストラの編成規模を考や、プログラムの性格を考慮すると会場は適当なように思えた。
この日はよりによって、マイナス20度!!顔がカチコチに凍りつきながらも、遠い遠い教会まで足を運んだ。
作品番号KV.414の協奏曲だったが、作品にピッタリの明るい音色でアプローチも的確、とても瑞々しいモーツァルトだった。
先生との出会いは今から8年前。僕が東京音大の大学院に在籍していたとき、学校からの招聘でマスタークラスをされに来られた時だった。あの頃から比べると、顔が少しおじいさんになられたかな・・・と思うけれど、相変わらず元気でよく喋る。
8年前、レッスンで弾いた曲はラフマニノフのソナタ2番で先生からは程遠い作品であった。というのも、先生は完全に“バロック、クラシック”の人で、師事した先生もバドゥラ=スコダというように、ロシア近代作品には全く向かないピアニズムで、バッハ、モーツァルトなどを得意とするピアニストなのだ。
彼は東独時代、とても活躍した人だった。東独時代に製作された沢山のレコードから、彼がかなり有名なピアニストだったことが窺える。
しかし、壁が壊れ、東西統一直後は過度のプレッシャーからか、一時期自信喪失したこともあったそうだ。
東独時代には“ピアニスト”としても職業があって、皆が会社で仕事をするように、彼もまたピアニストとして仕事をしてきたのだが、東西統一後、欧米のピアニスト達もが自由に演奏会が出来る状況になったため、自分の“ピアニスト”としての活躍の場が今までどおりに提供されなくなった。
彼が立たされた状況は我々日本人からとってみると理解し難いところがあるだろう。だって、今まで暮らしてきた国が突如として変わり、今まであった仕事がなくなり、急に会社に見知らぬ同僚が増え、彼らと競争しなければいけない立場になり、必要とされなければ捨てられるのだ。
しかし、そんな困難を乗り越え、60歳を過ぎた今でも若々しく演奏できる彼を僕は尊敬している。そんなアーレンス先生は3月に紀尾井ホールにてこのKV414の協奏曲を新日本フィルと演奏されるそうです。