久しぶりに日記というか最近の出来事を書いています。
僕の家にあるピアノはドイツの名器“ベヒシュタイン”。
このピアノは僕がワイマールで教えていただいたアーレンス教授から譲り受けたもので、1900年から1910年の間にベルリンのクロイツベルクで製造され、その後ライプツィッヒに住んでいたドイツ人に引き取られ、その後の第二次世界大戦の戦火をまぬがれ、僕がベルリンに引っ越してきた2002年に約100年振りにベルリンへ再び戻ってきた、もう100歳になるピアノなのである。
古いピアノは新しいピアノと比べると、音色がやわらかく、ふんわり、しっとり落ち着いていて実に心地よい。さすがに名器だけのことはあり、100年の歳月が過ぎた現在もピアノの音色の輝きは失っていない。
このピアノをアーレンス教授から譲り受ける際に、「このピアノはとっても壊れやすいからモーツァルトやバッハやハイドンはいいけど、プロコフィエフやラフマニノフを弾いたら壊れるよ。」と言われ、僕もその言葉を信じて今まで大きな音のする曲(例えばロシアもの)は家でなるべく練習しないようにして、そういう曲は学校に行き、耐久力の優れたスタインウェイピアノで練習することにしている。やはり自分のピアノは可愛いのであまり傷つけたくないのが親心というもので・・・。
学校のピアノ達!すまん!!
そして僕のピアノは鍵盤が85鍵で(どうしてかは謎)通常のピアノが88鍵あるから3つの鍵盤が足りないのであるからして、もし僕がリゲティなどの現代曲を弾くようなとき、側の黒い板の上を鍵盤に見立てて叩くということもある。
そんな僕の愛すべきベヒ(注:“ヘビ”じゃなくて)も、とうとう修理に出されることとなった。
アクションの一部分が100年前に製造された当時そのままのもので、最近練習していると鍵盤が下がらなくなることが随分と多くなったので(消耗品であるからいずれはこのような状態になるとはいっても)、ベヒシュタインのピアノ技術師の方と相談した結果、ハンマー部分と共にアクションの部分を全て新品に取り替えることが最善の選択ということでそうしてもらうことにした。
それに伴って響きも若干変わるかもしれないが、それも止むを得ないであろう。
いずれは日本にも記念として持ち帰り、今後も死ぬまで一緒に仕事をしていきたい仲なので大事にしてあげたい。
地獄のリサイタル
去年の夏、日本に一時帰国する直前に行った、クロアチア・ドゥブロブニクでのリサイタルは生涯忘れる事ない貴重な体験になった。
「アドリア海の真珠」と呼ばれるこの街は、旧ユーゴの観光都市で、その旧市街地は周囲を城壁に囲われ、悠久の時を越え、中世の面影を今も残し、訪れる人々は遠い昔にタイムスリップした錯覚にとらわれる。
ウィーンから小さな小さな飛行機に乗り換え飛ぶこと約2時間、飛行機はドゥブロブニク国際空港に降り立った。飛行機はアドリア海の上空を飛び、空からこの旧市街を一望すると、別世界がそこには広がっていた。
そういえば、この街は宮崎駿監督の映画「魔女の宅急便」の舞台のモデルにもなったそうだ。この映画を以前に見たことがあったので、空から見ると見覚えのある風景だった。
街はそれは美しく、観光客でいっぱいだった。
だが、暑すぎた。リサイタル当日の気温は37度まで上昇し、観光客もこの暑さのせいで日陰に避難し、暑さにやられたのか疲れ切った顔をしていた。
そんな中、僕の演奏会はアドリア海に面した由緒ある美術館で行われた。
クーラーもなく密閉した会場の中、よりによって燕尾服しか持参していなかった僕は、それを着て演奏しなければならなかった。それは、サウナの中で毛布をかぶってピアノを弾くのと同じことで、相当の精神力と体力を必要とする行為であった。
最初のハイドンのソナタまでは何とか意識がハッキリしていたのだが、前半最後の難曲スクリャービンのソナタ5番になると、今までかろうじてゆっくり流れ落ちていた汗が水しぶきのように飛び散り、今までの演奏会で恐らく文字通り、最高に手に汗握る演奏になった(笑)。
それでも鍵盤に汗が落ちると指が滑って大変なので、ずっと体を起し、背筋をピンと張って注意して演奏しなくてはいけなかった。
僕は全然汗かきではない。それでも必死で流れては落ちる汗と格闘しなければならなかった。
なんとか前半を終え、楽屋で落ちてあった雑誌でパタパタ扇いでいると、そこへコンサートの責任者がやってきて、
「貴方も暑いでしょうけど、聴いているほうも暑いです。このまま勿論聴きたいですが、後半は一曲カットしてくれませんか?」
という申し出に、僕もこれを承諾せずにはいられなく、止むを得ず最後に弾く予定だったラフマニノフのソナタ2番をカットした。
二曲になってしまった後半を弾き終え、意識が朦朧としているものの笑顔で拍手に応え、ふらふらになりながらも、このときほど強くクーラーのガンガン効いたホテルでシャワーを浴び、休みたいと思ったことはなかった。
「アドリア海の真珠」と呼ばれるこの街は、旧ユーゴの観光都市で、その旧市街地は周囲を城壁に囲われ、悠久の時を越え、中世の面影を今も残し、訪れる人々は遠い昔にタイムスリップした錯覚にとらわれる。
ウィーンから小さな小さな飛行機に乗り換え飛ぶこと約2時間、飛行機はドゥブロブニク国際空港に降り立った。飛行機はアドリア海の上空を飛び、空からこの旧市街を一望すると、別世界がそこには広がっていた。
そういえば、この街は宮崎駿監督の映画「魔女の宅急便」の舞台のモデルにもなったそうだ。この映画を以前に見たことがあったので、空から見ると見覚えのある風景だった。
街はそれは美しく、観光客でいっぱいだった。
だが、暑すぎた。リサイタル当日の気温は37度まで上昇し、観光客もこの暑さのせいで日陰に避難し、暑さにやられたのか疲れ切った顔をしていた。
そんな中、僕の演奏会はアドリア海に面した由緒ある美術館で行われた。
クーラーもなく密閉した会場の中、よりによって燕尾服しか持参していなかった僕は、それを着て演奏しなければならなかった。それは、サウナの中で毛布をかぶってピアノを弾くのと同じことで、相当の精神力と体力を必要とする行為であった。
最初のハイドンのソナタまでは何とか意識がハッキリしていたのだが、前半最後の難曲スクリャービンのソナタ5番になると、今までかろうじてゆっくり流れ落ちていた汗が水しぶきのように飛び散り、今までの演奏会で恐らく文字通り、最高に手に汗握る演奏になった(笑)。
それでも鍵盤に汗が落ちると指が滑って大変なので、ずっと体を起し、背筋をピンと張って注意して演奏しなくてはいけなかった。
僕は全然汗かきではない。それでも必死で流れては落ちる汗と格闘しなければならなかった。
なんとか前半を終え、楽屋で落ちてあった雑誌でパタパタ扇いでいると、そこへコンサートの責任者がやってきて、
「貴方も暑いでしょうけど、聴いているほうも暑いです。このまま勿論聴きたいですが、後半は一曲カットしてくれませんか?」
という申し出に、僕もこれを承諾せずにはいられなく、止むを得ず最後に弾く予定だったラフマニノフのソナタ2番をカットした。
二曲になってしまった後半を弾き終え、意識が朦朧としているものの笑顔で拍手に応え、ふらふらになりながらも、このときほど強くクーラーのガンガン効いたホテルでシャワーを浴び、休みたいと思ったことはなかった。
夏はどこへ?
寒いです。最高気温15度ってどうでしょうか?夏なのに・・・。
毎日ジャケットやジャンパーを着て出かけてます。この季節、半袖+短パンのはずなのに・・・。
でもピアノを練習するには、これくらいの気温が最適かもしれません。とにかく集中できるし、寒いから誘惑も少ないし(注:オープンカフェでくつろぐ)、他にすることがないから最終的に“練習”に落ち着くわけです。練習しないといけない曲が沢山ある僕にはとってもいい天気なのかもしれません。
僕はどちらかというと“暑がり”で、夏は苦手です。冬も苦手ですけど・・・(あっ・・・)。冬は何が嫌かというと、気温ではなくて、毎日灰色の天気が我慢ならんだけですけどね。
去年の夏、久しぶりに日本の夏を体験しました。約7年ぶり!に日本の夏を味わいましたが、ここドイツの気候に完全に慣れてしまった僕の体は、連日の猛暑のせいで体力の消耗が予想以上に早く、ちょっと歩いただけで体中へとへとでした。歩いては一休み、また歩いては喫茶店という感じでした。
ピアニスト=体力なし
ピアニスト=不健康
ピアニスト=白い
そう思いませんか?
次回、夏のリサイタルで死にそうになったお話し。
毎日ジャケットやジャンパーを着て出かけてます。この季節、半袖+短パンのはずなのに・・・。
でもピアノを練習するには、これくらいの気温が最適かもしれません。とにかく集中できるし、寒いから誘惑も少ないし(注:オープンカフェでくつろぐ)、他にすることがないから最終的に“練習”に落ち着くわけです。練習しないといけない曲が沢山ある僕にはとってもいい天気なのかもしれません。
僕はどちらかというと“暑がり”で、夏は苦手です。冬も苦手ですけど・・・(あっ・・・)。冬は何が嫌かというと、気温ではなくて、毎日灰色の天気が我慢ならんだけですけどね。
去年の夏、久しぶりに日本の夏を体験しました。約7年ぶり!に日本の夏を味わいましたが、ここドイツの気候に完全に慣れてしまった僕の体は、連日の猛暑のせいで体力の消耗が予想以上に早く、ちょっと歩いただけで体中へとへとでした。歩いては一休み、また歩いては喫茶店という感じでした。
ピアニスト=体力なし
ピアニスト=不健康
ピアニスト=白い
そう思いませんか?
次回、夏のリサイタルで死にそうになったお話し。
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