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DEUTSCH

モーツァルト嫌い!?(パート 1)

実は、僕はモーツァルトが嫌いである。

正確に言うと、“弾くのが”嫌いなのだ。

オペラや交響曲また宗教曲は自分が直接関係ないせいか、“聴くのが”とっても好きなのだけれど。

先日、ベルリン交響楽団と共に彼のピアノ協奏曲を演奏させてもらったわけだが、今回のこの公演が僕にとって、何を隠そう、記念すべき初めてのちゃんとした演奏会での“モーツァルト演奏”となった。

発表会やコンクールの場で、どうしても彼の作品を弾かなくてはいけないことはあったし、レッスンで何曲か教わった事はもちろんある。しかし、自分で曲を決められる場合、例えばリサイタルや試験の場で演奏することは今まで一度もなかった。

ピアノを演奏する人は経験していると思うが、彼の作品は弾き辛い。ラフマニノフやリストのように音が多くてややこしいという意味ではなく、ピアノソナタにみられるような簡単な伴奏系(ドソミソドソミソ)がなんとも難しいではないか。

単調なこの音形こそ、彼のピアノ音楽の基礎であり、また演奏を困難なものにしている。音が少なければ少ないほどに、聴き手の側も注意力が増すし、ごまかしが全く通用しない。

モーツァルトを演奏するということは、例えるならば、全身全裸の状態で演奏している気分である。だから、人前で彼の作品を演奏する事は、僕にとって恥ずかしくもあり、同時に極度の緊張を強いられる行為である。実際、ロマン派や近・現代の作品に見られるような、演奏効果を狙って書かれているような華々しいパッセージを指の流れに任せ、一気呵成に弾きまくることなど、はっきり言って難しいことではない。少なくとも僕にとっては。

今回のコンサートは僕にとってはこの苦手意識を改善できる恰好の機会であった。

この季節に想う

今日はとても蒸し暑かった。なんだか日本の梅雨を思い出した。

そういえばドイツに来て以来何年も日本の梅雨を経験していないので、一体どのくらいジメジメしているのか、また、どんなに不快な季節かはここドイツのカラッとした心地よい湿度に慣れてしまった今の僕には容易に想像することが出来ない。

確かにドイツには日本の梅雨のような独特の季節は存在しない。しかし梅雨がないかわりに、秋から春にかけ毎日雨や雪の天気が続く“灰色の季節”で、人々の表情も元気がなく気分的にも下降気味である。

僕は日本の秋が一番好きだ。理由は幾らでもある。例えば、サンマとか。紅葉とか。
日本は春夏秋冬がとてもハッキリしているので、季節感が人間の五感全てで感じられる。

一方ヨーロッパにいると、春から気温が段々と上がって夏になり、また、段々と下がって秋になり、もっと下がって冬になる、この当たり前のような順序がこちらにいると全く感じられない。

春になって日差しが強くなってきたと思ったら、いきなり寒くなって、タンスにしまいこんだコートを慌てて出して着る羽目になったり、「今日は長袖シャツ一枚で出かけられるな。」と思った次の日にはもう30℃になって、半そでTシャツを出して着ることになったり・・・本当に極端極まりないのである。

日本のブティックなどでは、春物・秋物の洋服が毎年のように新しく店頭にならび、その季節に合った素材やデザインで、春先になると僕も「今年はこのハーフコートが欲しいなぁ・・・」と毎年のように考えていた。
日本人には「この季節にはこれを着る」といったある種の定着感が消費者側にも備わっているように思う。“衣替え”という言葉も日本独特ではないか。

コートか半袖の服しか必要のないドイツでは、春秋の装いが出来ないのが(出来ない訳ではなく、単に期間が短すぎる!!)洋服好きな僕にとっては少し悲しいのだ。

でも、まあここドイツにいると皆がオシャレに無頓着なので、あまりオシャレに気を使わなくても堂々と街を闊歩できるのでどうでもよい問題だが。

指揮者と僕と

昨日、来る6月24日に演奏するモーツァルトのピアノ協奏曲第21番の指揮者合わせに行ってきました。

指揮者の人はハリーという名のイギリス人で、とても気さくでよく喋る興味深い人物でした。もともと英語が母国語なだけあって、ドイツ語は完璧、しかもアクツェントフライ(訛りが聞こえない、と言うような意味)で、さすがは指揮者!と感心していました。

指揮者合わせでは、指揮者が2台のピアノの間に立って振り、あたかもオーケストラを前にして振っているかのように各パートに指示を出し、例えば、ヴァイオリンのセクションに指示を出さなければいけないときは左下を見たり、木管楽器や金管楽器に指示を出す時には、正面を見て振っている(それに合わせ目線の位置も高くなったり、低くなったりする!)。いわゆる“ヴァーチャル指揮者体験ゲーム”さながらの感じでありました。

僕の相方役のオーケストラパートを受け持つ第2ピアノは、ドイツ人の学生2人が連弾で担当してくれ、なかなかスリリングな演奏になりました(笑)。

元来僕は指揮にとても興味を持っていて、もし指揮者でデビューなんかすることになってしまったら(そんなこと一生こないだろうけど)最初に振る曲ももう決めているほどです(笑)。

絶対「ベートーヴェン:交響曲第7番」振る!予定にしてます。いや、やらせてください・・・。

この指揮科の先生は、合間に昨日のテレビでウィーン・フィルを聴いてどうだったとか、そこでズービン・メータがどう振っていたかとか、ピアニストのラン・ランがサーカスみたいだったとか、面白可笑しく説明してくれました。

先生曰く、「ピアノ協奏曲はバイオリン協奏曲やチェロ協奏曲よりず~~っと振るのが大変だよ。モーツァルトのピアノ協奏曲は、ラフマニノフやチャイコフスキーより振るのが難しい。」と言っていました。

僕は全く逆のことを思っていたので、この言葉は目から鱗でした。こうして、楽しい指揮者合わせの時間はあっというまに過ぎていったのでした。6月24日の本番が待ち遠しいです。

ワイマールの想い出(映画編 完結編)

“役者"のみならず、“アナウンサー”までするとは思いもしなかった。

マイクに向かって僕は“NHKアナウンサー”になった。

なぜ、ラジオ放送の音声が必要だったかと言うと、それは、あの寒い撮影のとき4人の男たちは、電車が来ないから暇をもてあまし、それぞれラジオを聴いていたのだった。

もちろん本当に聴いていたわけではない。ヘッドホンを耳にして、ラジオを聴いているように演技をしていただけなのだ。

あの寒さの中で日本から出張でやってきた銀行員は、それにしても駅のベンチで何を聴いていたのだろうか?イギリス人は英語放送、ロシア人=ロシア語放送、ペルー人=スペイン語放送をそれぞれ聴いていたらしいが、どんな内容の放送だったか、知らない。

この日本人は“銀行員”であったため、凍える寒さの中ですら、仕事人根性で、株価、為替の動きなどを熱心に聴いていた(らしい)。もちろんそれらの放送は入手出来なかったため、僕自身がそれらの原稿を考え、ほとんどアドリブでマイクに向かって、こう言った。

僕:「午前7時のNHKニュースをお伝えします。」

僕:「今日の午前の日経平均株価は・・・・円、円相場は一ドル・・・・円となっております。・・・・」

まるで、戦後すぐのニュースのアナウンサーのように抑揚をつけず、平たく淡々としゃべった。

それから何ヶ月か経ち、この撮影のことも記憶から薄れてきつつあったころ、監督A君が僕に出来上がったビデオをくれた。その前の日に出演者、友達、その他大勢を招いてAの家で試写会があったのだが、僕は生憎、都合で欠席していた。

家に帰り、早速頂いたビデオを観た。タイトルが流れ、映画「DURCHFAHRT」の文字がくっきり浮かび上がった。

(おお~やるじゃん!)

そして、4人の男たちが駅のベンチで座っているシーンが映し出された。“横スクロール”でそれぞれ4人の男の顔がアップになる。

(んん!?今のはボクですか??なんだ、この無表情な人間は????ボク??)

そうなのだ。彼ら欧米人たちの中にいると、僕のアジア人の顔はとって~~~~も薄い!!!表情をつけて“高倉健”ばりに演技していたつもりだったのに、こんなにノッペラボウに映し出されるとは!!

しかし、どうしてだろう?彼ら欧米人は、何をやっても表情豊かに見える。同じ事がオペラにも言えるのだが、ここでは触れないことにする。映画自体の出来はどうであったのか、それは僕の主観的立場からいうと、「??」だったが、自分の姿がカメラを通して映し出される様がとても面白く、今から思えばとても“貴重な経験”であった。何人かの友人にも見せたが、その度に、あの時の寒さを思い出し、ゾクッとしてしまう。

春になり、僕はまたいつものようにMENSAに行き、いつものように友人らと日本語で語らっていた。いつも皆のために席を確保してくれているT君がボソッと、

「いやぁ~、俺、こんど卒業制作の映画に出ないといけないんっすよ。まったく何をするんっすかねぇ??」

僕がT君にニヤリとしたのは言うまでもない。

~Tよ。お前もか!~


<完>
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