
やっと「完結編」を迎えました(笑)。
さっさと書いてしまわないと、もう一週間以上も前の出来事なので記憶がだんだん薄れてきつつあります。で、そうそう、僕のリサイタルは一体どうだったのか?ここまで引っ張っておいて、なにも“オチ”がないのは少し悲しい気もしますが、正直に書こうと思います。
写真♣スタインウェイハウスにて 後ろの絵はホロヴィッツ
当日は、朝からものすごく緊張していたけれど、開演の一時間半前に会場入りして、ピアノを試していると次第に“緊張”と“いらいら”はどこかに消え失せ、勇気とパワーが体中に漲ってきた。なんだかいい感じ。
リサイタル最初の曲というのはいつも緊張するが、それが上手くいかないとお客さんをこちらに引っ張ることはできない。よく言う「つかみ」というやつである。
最初の曲、ベートーヴェンのソナタの出だし何小節か弾いて、すぐさま弾いている自分を客観的に聴ける余裕が出てきた。こうなってくると頭の中もスッキリし、冷静に的確に、今起こっていることを対処できるようになる。
しかしそんな精神状態であったにもかかわらず、つづくフランクではとうとう自分の考えている音楽を奏でる事は出来なかった。このことは、情けないし、無念で仕方ないが、近い将来必ず、この“名曲”ともう一度対峙してみたい。そして、自分の音楽で、コラールの“魂のうた”を心から奏でてみようと思う。
前半を終え、演奏の出来にとても不満が残ってはいたが、一方、後半のプログラムは、僕自身にとって作品に没頭でき、安心して弾ける曲なので、楽しく弾くことができた。
最後に演奏した「くるみ割り人形」は、疑いようもなくチャイコフスキーの全作品中(あくまで僕の独断と偏見によると)最も輝いた、魅力いっぱいの作品である。このオーケストラの原曲をご存知の方は多いと思うが、この超絶技巧を要するプレトニョフ編曲のピアノ編曲版をご存知の方はあまりいらっしゃらないのではないだろうか。
僕自身も偶然にモスクワの楽譜屋でこの楽譜を手に入れ、その後、最初この曲を聴いた時には、「一生弾けんだろう」と、弾けるプレトニョフが羨ましくって仕方がなかったが、何回もこの曲を聴くうちに、この魅力溢れるヴィルトーゾな曲のだんだん虜になってきて、とうとう手を出してしまったのであった。
まあ難しいのなんの。譜読みは短期間で出来たが、全然テンポで弾けるようにならない。何週間か経って、なんとか自分なりに仕上げて先生の前で弾いて見せたら、「おめでとう!」と言われた。先生はどうやら最後の曲の右手(2ページにわたり6度のアルペジオを絶えず紡いでいく。非常に弾き辛い!!)がどうしても彼女にはできなかったようで、弾くのを諦めたそうだ。
いやー、本当に難しい曲です。でも、それを補って余りあるほどの素晴らし~~~~い曲です。皆さん、是非この曲に挑戦してみてください!必ずやこの曲の虜になることでしょう!(注:別にプレトニョフ・ファンでも出版社の回し者でもありません!)。
こうして緊張のリサイタルは幕を閉じた・・。もちろん(毎回の事だが・・・)色々不満はあるし、後悔も多々あるが、今後の課題として真摯にそれらを受け止め、毎回ステップアップ出来たらと思っている。
終了後には、ベルリン・ハンスアイスラー音楽大学から聴きにこられた2人の先生方が楽屋に来られ、口々に「おめでとう」とおっしゃって頂いたが、特にミヒャエル・エンドレス教授は満面の笑顔で、やや興奮した口調で、「最高でした・・・今日、この演奏会に接せれてうれしく思います。」とおっしゃってくれた。僕は予想外の発言にビックリしてしまった。それは、この「最高でした」を意味する、ドイツ語の「Ausgezeichnet」(アォスゲツァイヒネット)という言葉はドイツ人はめったな事では口にしない。なぜなら、僕自身ドイツに来てから、なにかの演奏を対象にしてのこの言葉は、一度も聞いたことがなかったからだ。この最高の賛辞を彼は決してお世辞として言ったのではなく、本心で口にしたのだろう(と思う)。その言葉を受け、いささか恐縮してしまった僕を横目に僕の先生はニヤニヤ不気味な微笑みを浮かべていた・・・。
<おわり>